わたしのYPD的生活
若者パワーを求めてアジアを放浪中9月6日(土) 「若者が教えてくれたこと」
私は日本を離れて数年経ち、今の日本の若者が抱えているものをよく知りませんでした。4人の学生さんたちと寝食ともにさせてもらい、私の世代とは何か違うことも感じたことは否定できません。そして、今の1,20代の若者がそれを選択しているのもありますが、日本社会がその選択枠しか与えていない、言い方は悪いですが、奴隷化されているようにも感じました。有り余る情報と機会の中で、若者たちはどのような価値観を持って、どのように識別し、選択し、生きていってよいのか、困惑しているようにも見えます。人生の先輩である私たちは、彼らが納得し幸せだと感じれる方法で、生き方の模範となれているかなぁ、とふと考えました。自分自身にも自答していくべきことだと、4人を通して学ばされました。
9月5日(木) 「僕たちのことがきらいですか?」
午前中でプログラムが終了するため、時間通りに全てを順調に進めたがっていたのは、主催者側の「思惑(!)」で、実際に思うようには進まず、そしてそれがまた、よい方向に行きました。クリニックの参加者側から、日本人学生に対して多くの質問が出てきて、討論会と化しました。「自分自身にとっての開発観とは?」、「日本政府は難民受け入れを本当に実施するか?」、「日本は戦後、なぜ劇的な経済発展を成し遂げることができなのか?」という質問から、「日本人の多くはなぜメガネを掛けているのか?」という質問まで、お互いの本音を知る絶好の機会となりました。
第二次世界大戦に関してですが、日本人を悪く言わないのは、植民地化されなかったタイくらいじゃないかと思います。他のアジア諸国では、ありえない話です。そして、そのタイの中でも民族によって見方が異なることをはっきりと今回認識しました。今も内戦を続けるカレン族の中には、日本人を憎む人がいると聞いたからです。日本人学生は質問しました、「僕たち(日本人)のことが嫌いですか?」と。即答してくれた参加者は、こう答えました。「個人的に僕は憎んでないよ。過去は過去だから」と。
多くのことを分かち合った2日間、さらに重要なのは、これからこの体験をどう生かしていくか、ということです。これから参加者へのフォローアップも自分自身にとって課された大切な役割です。
プログラムが終了し、帰宅したのは夕方でした。家にはすでに別の若者たちが私たちを朝からずっと待っていました。家の前には川が流れていて、それを隔てた向こう側は、ビルマです。その村から、5名がやってきてくれました。今回、プログラムは時間の関係で出来ませんでしたが、交流会を行いました。
今回、日本人学生たちは、知り合った全ての人々にさまざまな祈りをこめて、折鶴を一羽ずつ贈りました。「平和の架け橋」といえば、何か具体性を欠く表現かもしれませんが、60年以上前には、決してこのように集うことが出来なかった民族が、今こうやって共に時間を共にすることができると考えるとき、この瞬間は特別なことです。この出来事の重みをかみ締めて、それぞれの地でよりよい社会作りのために行動し、生きていくことができるときに、人間としてさらに豊かにされるように私は思います。
9月4日(木)「Dr.シンシアとの再会」
Dr. シンシアを知ったのは、Restless Soul という本ででした。人が人をつなぎ、数年前に初めて、Dr.シンシアとお会いすることができました。彼女はあらゆる人々に対して対等に接し、何事にも誠実であることが話すたびに分かります。YPDの趣旨を理解してくれ、今回このプログラムがこのクリニックで開催できたことは、大きな意味があります。
個人レベルでの意識の持ち方から、国際レベルでの働きかけ、特に政府への提言まで、Dr.シンシアは方向性と責任を明確に私たちに示唆してくださいます。このことは日本人学生にとっても有難い時間でした。
このクリニックでのトレーニング・プログラム開催にあたり、22名の若者が参加しました。カレン族だけでなく、パオ、カチン、ビルマ、ラフの民族が集まり、これぞビルマだなぁという感じです。そして、皆さまざまな活動に精通している若者ばかりなので、問題意識と自分自身の役割をしっかり認識している点が印象的でした。3つのグループがプレゼンテーションを行い、活動の説明をしてくださいました。今回初めて知ったのは、IDP地域に医療提供しているグループの存在です。これは本当にリスクが高い活動で、犠牲者も残念ながらこれまでにいるそうです。非常に皮肉なことは、支援が真に必要な場所ほど、その手が届きにくいということです。
改善の可能性を見出すために、グループに別れ、ディスカッション、そしてプレゼンテーションを行いました。参加者がトピックを選び、「HIV/AIDS、人身売買、ダム(環境問題)、IPDの子どもたち、マイグラント、難民問題(日本)」の6つに絞り、それに関して改善策を探りました。どの問題も深刻ですが、ダム問題は軍政の権力を強化するだけで、市民に利益をもたらさない、という発言が脳裏に焼きついています。
9月3日(水) 「お金は物を言います」
難民キャンプでの2日間のプログラムが無事終了し、市内に戻るために再度ソンテオでの移動。日本人学生たちは車酔い対策をしっかりしたかいがあり、どうにか市内まで健康的に到着しました。目の前に座っていた現地の女性たちとその子どもは途中で車酔いをし、辛そうでした。「現地の人でも車酔いするんですね」と学生が言っていたのが、印象的でした。

数箇所の検問では、移民だと分かる人に尋問していきます。ドキュメントを所持していればいいのですが、そうでない場合、尋問される方も分かっているので、すぐさま100バーツの罰金を支払います。それで済む分、タイの軍も寛容かもしれません。メーソッドでは、お金でどうにか居続けることができます。日本であれば、即、強制送還なのでしょうか。
9月2日(火)「政治的な問題と民族的な問題」
夜、日本人学生はある男性と話を共にしていました。その方はあらゆる問題に精通していて、ビルマ問題に対して明確なビジョンを持っていました。どの話も非常に有益な話だったのですが、その中でも、アウンサンスーチー女史の軟禁と民族内戦は別個の問題であることを強く方っていらっしゃいました。
民族的な問題、それは本当に根深いと感じています。些細なことだけれども、隣で一緒に話す人々、一緒に生活している人々、時に不信感を抱きながら、生活していることがあることを知るとき、政治的な問題が解決しても、民族間で真に理解しあって生きることは、それ以上に時間がかかることだと思い知らされます。
そしてまた、第二次世界大戦の傷跡が根深いことも人々の話から痛感します。彼らにとって戦争はまだ終わっていないのではないでしょうか。

9月2日(火) 「明日への希望」
早朝5時30分から、キャンプの寄宿舎で生活する子どもたちは清掃活動を1時間行います。ビルマから歩いてやってきた子どもや身寄りのない子どもなど、さまざまな境遇の子どもたちが寄宿舎で生活して学んでいます。キャンプ、コミュニティの長が農園を案内してくださいました。ここはまさに持続可能な農業の実践の場所です!養豚、養鶏、野菜栽培、魚の養殖など、自分たちの手で作ります。「お金がないからねー」と長は謙虚におっしゃいましたが、タイの市場で売られるものには農薬が多く使用されていること、またどこへ行っても自分で生活できる能力を養うこと、などの理由から農園が長の指導のもと、NGOと協働して作られたそうです。驚くべきことは、水力発電や自然ガス(動物の糞を使って)も自分たちで作っています。
近くで電子ピアノの音が聞こえてきます。同じNGOが職業訓練を行っていて、これらの農業や音楽もその1つです。その昔、何一つ活動が許されず、できなかった環境から、現在、このように多くのことを学ぶ機会があることは、人々に技術を与えるだけでなく明日を生きる希望につながることを私は人々を通して知り、このNGOの草の根的な活動の影響力を感じるのでした。

9月1日(月) 「賛否両論の第三国定住」
今回のトレーニング・プログラムは難民キャンプで活動する青年団体の施設をお借りして開催しました。日本人学生を含め19名の若者が参加しました。キャンプで生活する大多数がカレン族であるために参加者はカレン族が大半になります。プログラムの目的の1つは、ビルマに関連している問題の改善のための可能性を各地域で探ることです。そのため、1日目はお互いを知り、問題を見つめること、2日目はキャンプで活動するNGOなどを訪問し、解決の糸口の手がかりを見つけ、今度は各地域でどのように取り組むかをそれぞれが考えます。

今は第三国定住が本格化していて、あちらこちらでNGOや情報ボードを見かけます。毎朝、出発者を乗せた車がキャンプから空港へ向かいます。
数年前のトレーニング・プログラムと比べて大きく変わっていることの1つは、参加者の意識です。第三国定住が本格化する前は、人々の中に失望が漂っていました。世界最長の内戦が生んでいる難民がこんなにも長い間世界から見放され続けたために、人々の中には希望を見出すことの方が難しいように思われました。最近、どんどん第三国に出国し始める人が増えて、「これから~をしたい」という言葉を多く聞くようになりました。
その影でもっと大変な状況になのは、真に難民申請を必要としている人々と、マイグラント、そしてIDP(国内避難民)です。今回のプログラムのディスカッションでも、このことは取り上げられていました。私個人は、この問題は、私たち一人ひとりの生き方の問題だと考えています。だから、私たちはこのことに関して何1つ強要することはできません。
ただ、この移民問題は、国間や国際レベルでの介入なしには改善不可能な問題ですが、その国や国際を成り立たせているのは、人間です。1人の意識が変われば、コミュニティの意識は変わり、市民の意識は変わり、国の意識が変わり、世界の意識が変わる。もちろん、その逆だって、ありでしょう。楽観的過ぎる見解でしょうが、こうでも考えなければ、とてつもない移民問題に立ち向かえません。今の私を支えているのは、この行き過ぎた「前向きさ」かもしれません。
8月31日(日)「県内移動13時間」
7回目となるYPDのトレーニング・プログラムが始まりました。このために日本から4名の大学生が参加してくれたことは、本当に意義あることです。学生には気の毒でしたが、地元の人が利用する交通手段で多くは移動しました。ソンテオという乗り合いの車に乗り、乗換えを繰り返し、難民キャンプ近くに到着したのは市内を出発して6時間以上経過したときでした。成田からバンコクが約6時間、バンコクからメーソッドが約7時間、メーソッドからキャンプが4-6時間なので、1日では移動不可能です。また、キャンプは山奥にあるため、曲がり曲がった道を行きます。到着したときには、学生さんはクタクタ。この日はゆっくり休みました。
キャンベラの雨に打たれながら想うある学者のこと
昨晩、突然キャンベラ行きが決まって、チケットを往復とった。ワールド・ユースディのあとに2つトレーニング・プログラム開催が予定されていて、そのうちの1つのプログラムがまだ出来上がっていないために、スタッフと話し合うことになった。そのスタッフとはYPD www.ypdnew.info を通して出会ったよき友人で、彼は博士課程に入るためにキャンベラの大学で奥さんと一緒に研究している。彼がまったく時間が取れないために、暇人の私がメルボルンから北上することになった。
昨晩からメルボルンは大風の大荒れ。キャンベラはもっとひどかった。寒い上に雨が降ってる。奥さんがバス停まで迎えに来てくれて、それから大学へ。
彼の研究室は「中国マニア」っぽい学生が多くいる。置いてある本や動物の剥製(なぜ???)がそれを物語る。私は時々研修者のことが分からなくなることがある。社会に住んでいるから社会に還元できるような研究と生き方を研究者が求めたらいいのに、と期待するのは的外れかな?
今年に入って、興味深い学者と出会った。タイで活動中に研究者を通して出会った日本人の学者(文化人類学)で、自分自身を強く持ちながら、社会でどのように自分自身が還元できるか、私の父の年齢にもかかわらずずっと持ち続けている方。私もその学者のように死ぬまで自分自身を模索し続ける人間でありたいなぁ。
もったいない精神 その2
寝袋を友人から借りるためにcoburgという町に電車に乗っていきました。住宅街なので近距離にお店や銀行などあって、歩いていてとても楽しい場所です。無事友人と再会できると、近くにあったリサイクルショップに立ち寄りました。そのお店だけでなく、歩く範囲で数件そのようなリサイクルショップがあるとわかり、結構驚きでした。
私の中での一番の美徳は、よい質のものを一生使い続けるということですが、そうとまではいかないときに、リサイクルショップはとても魅力的だと思います。その日は2軒寄りましたが、お店によって品物もさまざまで、質のよいものを取り扱っているところはみていても面白いです。よそ行きように日本でも帰国後使えそうな靴を1足ショーウィンドーで見つけました。今年4月に日本に帰国したときにはサンダルしか所持していなく、弟が処分しようとしていた靴を一足お下がりでもらいました。とても履き心地がよく気に入っています。今はそれをはいていますが、外出用の靴がなかったので、そのお店で見かけたとき、試にはいてみて値段もお手ごろだったら買うつもりでした。サイズもぴったり、値段は約1000円。大切に使いたいと思います。

